「コミュニティ」という言葉は文脈によってワクワク感が違うのはなぜだろう

小生は友人と家をシェアして住んでいて、本棚は各々が持ち寄った本であふれています。
ふと、雑誌のみを集めたコーナーが気になる雑誌が。

「こころ 2012 vol7」特集「コミュニティ」が文化をつくる
「なぜコミュニティなのか。どうしていま、文化なのか」広井良典

おぉ!タイムリー。
早速中をのぞいてみると、
●人類史の大きな流れの中で人々が情報をどのように扱ってきたのか
●コミュニティがその中でどう関係してきたのか
について駆け足でまとめられていました。

高齢化社会というテーマの中で「コミュニティ」という言葉を聞くとどうしても、公民館とか町内会など若手世代から見るといまいちパッとしないイメージを連想してしまいます。
それが、インターネット、フェイスブックといったテーマの中で「コミュニティ」という言葉を考えると、勢いを感じますよね。
違う単語ですが、セス・ゴーディンの「トライブ(部族)」といった言葉も頭に浮かび、いよいよワクワクしてきます(*)。

こうした捉え方の違いは、きっと創造性、クリエイティビティを前者からはいまいち感じられないからなのだろうと、小生自身は思っています。

そろそろおちですが、こうした中で広井氏は「創造的福祉社会」を提唱されています。
さてどんな「創造的」な仕組みが福祉社会に隠されているのか気になってきませんか?
お後がよろしいようで。



*セス・ゴーディンのトライブはもっと組織論よりの話で、ちゃんと議論をすればコミュニティとは別のレイアーの話。レイアーは違えど人の集合という意味では同じだろうと程度で紹介しております。
*組織とコミュニティは何が違うんだ?という話もありますが、それはまた別の機会で。

こころ 2012年 vol.7

こころ 2012年 vol.7

トライブ  新しい“組織”の未来形

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